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ジャーナリストネット(大阪)から聞かれて [インタビュー]

2006年03月27日
講演 韓国民主化運動と私たち:  長沼 節夫(ジャーナリスト)

3月10日全港湾主催で開かれた講演を要約抜粋して掲載します。日韓の民主化連帯
の歴史でもあり、一ジャーナリストの報道の歩みでもあります。写真大阪市で講演
する長沼節夫さん(撮影 片山通夫)。
 
1960年代半ば、京都で大学新聞の記者を経てジャーナリズムの活動に飛び込んだ
が、ある在日韓国人の韓青同メンバーに匿名を条件にインタビューし、記事を書いた
ら、ある団体の人たちが東京から押しかけてきて私に、「この人物は誰だ。明かせ」
と迫り、2日間ほど軟禁された。私は最後まで口を割らなかった。この言論弾圧には
当時、鶴見俊輔さんたちが抗議声明を発表してくれた。インタビュー相手の方とはい
まも親交を深めている。

 釜山に行く時に韓国大使館から呼ばれ「金大中をインタビューをしないと約束せ
よ」と迫られた。そういう時代だった。金大中は選挙演説中暴漢に襲われ大腿骨を骨
折するなど命をかけて当時の軍事独裁政権およびそれを支えるKCIA(中央情報
部)と闘っていた。韓国ではKCIAが全土に監視の網を巡らせていたが、現地で素
晴らしい人たちが取材を助けてくれた。その時代に思ったのは、「KCIAは全土を
支配しているが、民衆がそれを包囲しており必ず勝つ」ということだった。

 私が朝鮮問題に取り組むようになったのは当時、日本人が韓国人の批判にさらされ
ていたからだ。「なぜ?」という疑問から朝鮮問題を深めていった。最近で日本人は
韓国人から励まされている。

 軍事独裁を克服して民主化時代を迎え、韓国は今、歴史の見直しに取り組んでい
る。

日韓会談の外交記録を日本に先立って公開し、民主化運動被害者の名誉回復委員会、
疑問死究明委員会、過去事究明委員会などが活動しているが、その名誉回復第一号は
全泰壱だった。。1970年にソウルの平和市場でミシンの縫製工だった彼は労働条
件の酷烈さに抗議し焼身自殺した。

事件直後、ソウルにいてその狭隘な作業場に立ち、1日140円の給料に驚いた。こ
れでは1人だって食べられない。聞けば彼は粉だけのピンデット(お焼き)を食べて
飢えをしのいでいたという。事件以後、母親の李小仙は労働運動の堂々たる闘志に
なった。

 朴政権は1970年、外資導入のため馬山貿易自由地域を作り、「5年間無税。労働運
動はさせない。安心して来てほしい」と呼びかけた?数の日本企業が飛びついて進
出した。しかし朴が暗殺され80年代に入ると、余りの低賃金にやはり抗議の労働運動
が起きる。日本から「工場閉鎖、全員解雇」というファックス1枚で失業させられた

韓国スミダや韓国スワニーの労働者は代表を日本の本社に送って坐り込んだ。東京で
は「アジアの女たちの会」など、また関西では全港湾などが彼女らを支援した。日本
の支援団体やマスコミもそろって本社を非難し、馬山の彼女らは勝利した。「アジア
の女たちの会」は今、日本軍性奴隷(慰安婦)問題を闘う「バウネットジャパン」と
いうグループになっている。ソウルではこれより先の70年代、統一紡績闘争があり、
女性初の労組委員長も誕生した。韓国の労働闘争は篭城闘争だ。立こもり戦術であ
る。

彼女らのピケットに会社側は人糞をぶちまけて弾圧した。YH貿易は野党新民党本に
篭城して闘った。同社は韓国最大のかつら会社だった。当時の貧民はかつら産業に自
分の髪の毛を売ることで生活の一助にしていた。韓国企業はかつらを作って世界に
売った。最大の新聞「東亜日報」の記者が民主化闘争を始めると直ぐ首になった。こ
れも多数の日本人が支援体制を組んだ。いまでは韓国の労働者が日本の労働・平和運
動を各地で励ましている。

  韓国労働運動ではキリスト者も大きな役割を果たした。初めKCIAは労働者が
教会に接触するなら安心だと思っていたが、そのうち教会が労働運動を支援している
こ とに気付いて慌てた。だが警察に追われた労働者はソウル中心部にある明洞(ミ
ヨンドン)大聖堂に逃げ込むと、さすがの警察も踏み込めなかった。朴政権は「韓国
は世界で唯一メーデーを許さない国」と自慢していた。替わりに3月に「労働節」を
定め、御用組合を表彰していた。今ではメーデー行進も行なわれている。

 韓国では今、過去事究明委員会が活動していることに触れたが、この委員会の活動
と成果に注目している。同委は大韓機爆破事件、金大中事件ほか幾つもの重大事件の
謎が究明されつつある。

日本では今、在日韓国人の団体である「民団」に大きな変化がおきている。民主化を
支持してきた人が2月の選挙で、史上初めて中央本部の団長に選ばれた。民主主義の
少なからぬ分野で日本を凌駕している韓国に注目するとともに、天皇ーマッカーサ会
談の公開など日本でも歴史の真相究明に取り組みたい。


コメント(1) 

コメント 1

さとう

長沼さんが書かれている80年代の出来事に関わっている人たちの集会に私も話しを聞きに足を運んだ当時の大学新聞会活動を懐かしく思い起こさせました。当時の一つひとつの出来事がこれまでの流れの中でどういう意味があったのか改めて整理されてたいへんよかったです。
by さとう (2006-04-21 22:54) 

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